結婚式に参加した話
- etsu077aikotobakey
- 2018年3月11日
- 読了時間: 5分
結婚式と言っても二次会ですが。人生初、友人の人生の門出を祝ってまいりました、花粉症か春の風に生気を吸い取られ始めているもりえつりんごです。
結婚式もその類も、歴史的な背景を見ちゃうとその意義とか意味とかって瑣末に感じてしまいますね。うろ覚えとざっくりとした調べでの上の意見で申し訳ないのですが、個人の意思とか願いとかそういうのが定まる前から「結婚式」って言葉に内包される意味が強すぎるから。本人達の視点になかなか立てない。
だって、結婚式ってものを知らなかったら、結婚式なんてした?
そんなことを考えてしまう私ですが、それでも人生の推しの一人が幸せになり、誰かと一緒に生きていくと教えてくれたのですから、笑ってその背中を見送ってやりたいというのが友の情。当日はにこにこと旧友との再会を喜びながら、祝ってきました。呼んでいる人の数が多いから、どうしても話す時間は少なくなっちゃうよね。また今度、落ち着いた頃にきちんとお祝いできたらなと思います。
■常套句と絡めて
結婚式というと、私は「苦し紛れの常套句」を思い出します。
(未だに思い出すくらいには思い入れが深くて、最近は邦ドラマを観た影響でシナリオに書き起こそうかなと思い始めたくらいです。それはさておき)
あの作品は、鏡のように読者に返ることの多い話でした。その中で、結婚式だけ取り出して、話をしますと、
あのシーンは「名月と奈月のための」結婚式であり、「一般的に愛や想いを刻むとされる場面で、最大の不理解・理不尽が披露された」結婚式でした。続編シリーズという形でそのうち新作が出るので、彼女達については置いておくのですが、
奈月と哲くんの不理解が、結婚式と対比されている、と私は考えています。
誰かを想うことの片鱗を思い知らされ、それを愛だと分類された奈月。
彼女の「理解できない苦悩」を察することはできても、それを彼女に示すことはできなかった哲。
多くを求めたのは奈月でしたが、多くを思い知らされたのは哲くんだったでしょう。
彼はただレンズの役目を果たしていただけでしたが、人間である以上、彼もそれだけに終われません。もう、以前の彼にはなれない。変わってしまったものと、変わらなかったものと、彼はどのように意識し、生きていくのか。その辺りも、またいつか、形にできればなあと思います。
長年思い続けているのに、なかなか続編を形にできないのが悔しいのですが、こうやって熟成を重ねて出来上がった常套句の未来を私も読みたいので、頑張って諦めないで行こうと思います。
■友人の結婚式と、自分への投げかけ
そんなこんなで、結婚式に参加した人のツイートや経験者の話を聞くと、それぞれの結婚式・結婚式の諸々の式?の行い方があるようで。そういうところで個人の特徴が現れるのかな、と思います。
友人の門出は、たくさんの若い人たちに見守られた、賑やかで明るい、お祭りのようなものでした。
だいたいカメ子するか談笑するかしてなかった私には、その場にいるのに画面の向こうのような、二次元か録画だかで行われている式のようで、ああ本当に、あの子は新郎さんと生きていってしまうんだなあと思いました。
人生の推しの一人にして、中高時代の憧れの子でした。
マーガレットとかそのあたりの、現実味あってギャグやコメディも入り混じった少女漫画の主人公みたいな友人でした。面白くて、賢くて、飾らない可愛さと上品さがあって。大変なこともあったのを知っています。でもそれ以上に、彼女はたくさんの人と一緒に生きて、楽しんでいた。当然ですが、それは私にはできなくて、叶えられなかった事ばかりで、私にとっての「普通」を地で進んでいるようで。中高の頃は少しだけ羨ましかったところもありました。
私は友人であったけれど、特別近しい友達とか、そういうものではありません(多分)。なれないのを知っていたし、なるつもりもあまりなかった。その程度には離れた場所にいる、憧れの華で、青い芝生の上で生きてる人だった。
大変だった色々なことを乗り越えて、絵に描いたような優しげな新郎さんと、楽しくノリの良い仲間達と共に、これからも楽しく生きていってほしいなと、思います。
こういう話はブーメランになるのが大半ですが、では私はどうなのかというと、いまいち結婚というものにこだわりも、意味合いも持てず、なにより大事な友人と連絡が取れない今、そういうことを考えるのはしんどいなあ、というのが本音だったりします。
私の大事な友人達は、大半がちょっと気難しいところがあったり、こだわりがあったり、強いところと弱いところがあったりして、後ろ向きになりながらも生きる理由と死ぬ理由と、どちらでもない理由を探して息をしているところがあります。私は友人達がもっと生きやすくなればいいなと思って、願っていて、生きやすくなるためにできることはなんでもしたいと本気で思っています。
だから、私が結婚やなんやを使ってありがとうを伝えようと考えることが、難しいんです。
私が楽しい時、友人達もきっと楽しんでくれていると、築き上げてきた時間と共有したものが教えてくれます。私もそこは忘れていないし、信用しているし、信頼している。今後もずっと一緒に生きていくつもりはもちろんある。
でも、結婚式といった大きな場に意味や楽しさを見出せないことを知っていて、わざわざ呼ぶって、なんだか違うような気もするんですね。一人一人にきちんと言いたい、時間をちゃんととって、ゆっくり言葉を交わして、門出を一緒に迎えたい。そういう気持ちはあるので、何かしらいい方法があればいいなと、思います。結婚とかそういうのがどうなるのか、私にはわかりませんが。
未来の私が、もし結婚式をしたいと思っていたら、きっとするんでしょう。
そんなことを思った休日でした。長くなりました。
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