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日を常に -1

  • etsu077aikotobakey
  • 2018年3月12日
  • 読了時間: 2分

秋に実り、春に盛る。日本において季節の変化は、体内よりも強力なアラーム機能を持つ時の針だ。

雪解けを待たない立春は、カレンダーを作った人にも分からぬ変化を山に齎らし、尾根を伝って麓へ流れる。

噎せ返るような花の香りも、登る程に濃くなった。

足を進める毎に、靴底と擦れて、土が乾いた悲鳴をあげる。はあ、と意図せず溢れた吐息は白く染まることもなく、つつじの視界をぼやかした。

小さな村を囲う、小さな山だ。最近になって、山の丘に咲く菜の花が注目され、車で山道を上ってくる人が増えたけれど、つつじのように登山を試みる者は少ない。登山というよりは散歩に近いはずなのに、人間/ひとは地上から山へと足を踏み入れない。筍や果実を求めてさまよう割にはつれない。

「はあ……結構、登った」

石と古いコンクリートで固められた土台に到着すると、つつじは額に浮かんだ汗を拭い、背後を振り返った。

全体が見渡せる程度の、小さな村だ。丘と同様、黄色の菜の花が咲き乱れ、黄緑一色は免れているが、木の色が多い。緑と、深緑と、茶色と。綺麗な水が通っていようと、底の砂利が灰色である以上は小川もくすんで見えるし、古い土地のせいで新しいマンションや家が建つことも少ない。

色彩の偏りは、思考の偏りと似る。

「明日は引越しだ……」

つつじの頬を隠す黒髪が、あたたかな風に毛先を揺らした。

十八年と少しの時を、つつじはこの土地で過ごした。今時珍しいくらいの田舎っ子で、駅に人がいると驚くし、切符じゃなくてカードで電車やバスに乗れることにドキドキしてしまう。

そんなつつじが、次の時間を過ごす場所として選んだのは、奇遇にも村の外──東京だった。

息を吸う。花や草の香りで、肺が潰れそうになる。胸に抱えた一眼レフのレンズが日差しを受けて温まり、つつじのお腹に熱を渡す。暖かくて、熱くて、手を離してしまいたくなる。

このすべてと、明日でお別れだ。

「東京に、春はあるのかな」

気が遠くなるほどに強く、人間の魂を吸い取ってしまいそうな草木の生気を、思い出せるだろうか。

カシャと音を立てて、写真を撮る。このカメラは、フィルムを確認するまでちゃんと撮れたか分からない。

デジタルカメラが便利なのは知っている。きっと、向こうに行けば、つつじもデジタルカメラを買うだろう。予測しているから、最後の一枚はこのカメラで撮りたかった。

「さようなら」

逝く先を求めた全てを一枚に収めて、霞む空を見上げる。

噎せ返る植物の香りに、死に損ねた心が一つ、頬を伝って零れ落ちた。

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