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他人が見えるのは自分が見えないから

この二年ほど、大海に漕ぎ出しては楽しんだりよくわからないモヤモヤを抱えたり、よくわからないままにぶん殴られるような衝撃を受けたり、波乱万丈な時間を送っていたように思います。

そもそも漕ぎ始めた一年は、これが楽しい!これがすごい!みんなどう思ってんの!?すごいって思ってるよね!?とジャングルに宝探しに行くようなイメージで過ごしていたのですが、どうやらそこはジャングルではなくて都会の、洗練された、ある一定の条件が満たされないと分かり合えない……というよりその条件を満たしてないと仲間と認めてもらえないような場所で、うっすみません来るとこ間違えました……と戻ってきているのが今、なような気がします。



そもそも他人を強く意識してしまうときってなんだろうか、と考えてみたところ、

自分が何を好きか、自分という視点がどこにあるのかわからないときかな、と思います。


私は自分自身をフィルターとは思っていますが、カメラのSDカードのように積み重ねる部分を持っていないわけではありません。


きっとそこに連絡する部分がうまく機能しなくて、とにかくいろんなものを素敵だね、楽しいね、とパシャパシャ写真に撮っていたら、突然機能するようになった、みたいな感じがします。


実は、つい最近自分が本当にこれが好きだ!と感じるものに触れることがあり、それ以来、驚くほど自分の感覚が変わったような感じがしています。


私はそういう出会いや出来事に、幸運にも何度か恵まれたことがあります。こうして私は鮮烈な出来事に触れるたびに、一皮向けたような気持ちになって、それまで見えていなかった部分のヴェールをいきなり剥がしてしまえる人間なのかもしれないな〜なんて、ちょっと思うなどしました。



中学生の頃「書かないことは無理だろうなあ」と思っていた私は、相変わらず脳内の文字と毎日格闘していて、日記らしい日記も書けなければ、「あれ、昨日何してたっけ?」と記憶にも残せないんですが、私が忘れた分だけ言葉や文字が残り、お話が残されてきているなあと、いま、楽しい気持ちで思いました。


好きなものを好きというとき、好きだと感じるとき、自分の感性や感受性や価値観が総動員されるので、好きだ〜と叫ぶこと自体がすごく自分に良いなあと感じています。


これからもいっぱい感じていきたいし、いっぱい心を揺さぶられながら、日々を楽しくいきていきたいなあと思いました。


原稿終わらない!これいっつも言ってる!

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